僧侶の修行

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僧侶の修行をご存知でしょうか。
修行している僧侶の姿をよく目にしますが、具体的にどのような修行をしているのでしょうか。
修行と言っても、誰でも修行ができる内容と、特定の人しかできない修行などもあるようです。
特定の人というのは、将来お坊さんになりたいという人です。
一般的には、修行の体験が出来るという広い門なのですが、そこからお坊さんになりたいという人の門は広くても、途中で挫折してしまったり病気になってしまったりという難関があり、ごく僅かな人しか修行を終えることができなく、認めてもらえないようです。
将来自分のお寺を持ち、葬儀などをする役割をすることと思います。
修行と言っても、自分の我を殺す修行なのです。
自分の我があるから怠けてみたりイライラしたりするのです。
そうではなく、水のように何に対しても柔軟な対応ができ、逆らわずに進んでいくような修行が大切なのです。
水はなくてはならないものです。
自分も皆からいなくてはならない人というような存在になるためにも、今一生懸命に修行する必要があるのです。
自分がいなければならないと感じるのではなく、周りの人々が決めることなのです。
皆から必要とされる人間になるためにも、毎日の修行が大切なのです。
修行は毎日の生活そのものが修行なのです。
毎日の何気ない暮らしの中に、自分を精一杯高めていき、掃除一つにしても言葉遣いにしても、服を着ることにしても、全てにおいて心が入るようにする修行なのです。
台所であれば一生懸命に台所の役割を果たすことです。
ただひたすらになって自分の我を出さずに取り組むことが修行なのです。
特に自分の我が強く、わがままな人は一度で良いので体験してみるのも良いのではないでしょうか。
将来のお坊さんを育ててくれるものは、普段の日常の生活そのものなのだということです。
自分の意識をどこに持っていくかによって、なりたい自分になれるのだと思います。
それに向けてひたすら努力していくことが大切なのだと思います。
誰もが同じやり方で修行が完成されるわけではありません。
人それぞれの感覚や気の違いによって覚えることも感じることも異なります。
しかし、色々なお坊さんがいて良いのだと思います。
大切なことは、命を大切にして今を生きていき、自分のために人のために生きていくことが大切なのだと思います。
そして、修行に終わりはなく、一生修行しているという感覚であるからこそ、務まるのだと思います。
毎日の生活の日々そのものが、大切な修行の場なのです。

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